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[まどか☆マギカ][書籍]なぜ暁美ほむらは、鹿目まどかに叛逆して悪魔になったのか。

 現在、デビルほむらとか、デビルクレイジーサイコレズとか好き放題言われている彼女ですが、ツイッターで彼女を表現する面白い内容がありました。デビルガンダム三大理論として「自己再生」「自

[まどか☆マギカ][書籍]なぜ暁美ほむらは、鹿目まどかに叛逆して悪魔になったのか。

 今回のエントリは、下記の記事とリンクしたものです。

 現在、デビルほむらとか、デビルクレイジーサイコレズとか好き放題言われている彼女ですが、ツイッターで彼女を表現する面白い内容がありました。

 

 デビルガンダム三大理論として

 「自己再生」「自己増殖」「自己進化」

 が言われてましたが

 デビルほむら三大理論だと


 「自己嫌悪」「自己欺瞞」「自己完結」 


 実に「なるほど」と思わせてくれます。


 私はそこに「自己憐憫」「自己満足」「自己中毒」も付け加えたいですが。

 

 さて、話を劇場版に戻します。


 反逆の物語を見た人は、なんとなく「クレイジーサイコレズならああするよなぁ」と思いながらも、「なぜあんな事をしてしまったのか」と、釈然としないものがあるかとは思います。


 今回はそれについて考えてみたいと思います。


 今回の考察で引用するお話は「うしおととら」の特急列車の回と、反逆した秋葉流の話です。まどかを自分の世界に閉じこめた今回の暁美ほむらは「劇場版美少女戦士セーラームーンR」のフィオレと被る部分もあるのですが、それは次回のお話といたします。

 

 では先に引用箇所と内容だけ告げますと、

 「うしおととら」の特急列車の回は、光覇明宗の破戒僧が繰り出した秘術の部分です。

 秋葉流の反逆については「蒼月潮を裏切って、白面のものにつくという悪魔を演じるに至る秋葉流の心理です。



 では始めましょう。

「misterioso」




 karafinaの前向きで明るい挿入歌である「misterioso」と、概念のまどかの降臨によって、暁美ほむらは一つ上の次元に導かれようとしていました。

 概念まどか「ほむらちゃん、ずっと一緒だよ」

 しかし、彼女はそこで鹿目まどかの救いの手を握り返すどころか、相手を自分と同じ次元に引きずりおろそうとしました。

 あそこまで、他の魔法少女少女たちがお膳立てをして、ほむらの魔女化を救ってくれたにもかかわらずです。

 それは何故かというと「通り魔」に憑かれたからです。

 科学の光が人の心理を照らし出している現在では「魔が差す」という言葉は、あまり耳にしなくなりました。

 ですが、あの瞬間、暁美ほむらは間違いなく魔に憑かれたのです。彼女が自分を悪魔だと言い張った件とはまた別に、です。

 秋葉原事件も、池田小学校事件も「憑き物」や「魔」に憑かれた事で、あれだけの凶行に身を投じることとなったのです。

 では何故暁美ほむらは、魔に憑かれたのでしょうか。

 それは作品中で解答が出ています。

 ほむら自身が「次第にまどかの存在は私だけが抱いている空想なんじゃないか」と語っていましたが、

 事実彼女は、それが原因の一つとしてソウルジェムが濁ることとなったのですから(愛ゆえに濁ったと彼女自身が言ってますが、その事については後述します)。

 概念と化してこの世界のいかなる場所からも消えてしまった鹿目まどか。

 そんな彼女の頑張りや悲壮な覚悟の記憶があったとしても、それを理解、共有してくれる人はどこにもいない。


 暁美ほむら「寂しいのに悲しいのに、誰もそれを分かってくれない」


 その状況が暁美ほむらの感情を、すなわちソウルジェムを濁らせていきました。


 実は感情や思いというものは、出所を失ってグルグルと滞留して対流を続けると、マグマのようにいつかは一度に噴出します。


 いわゆる「こじらせる」というわけです。

不遇な環境から来た思い込みをこじらせてしまった一例 

 非モテや不幸な境遇からきた物事の考え方をこじらせ続けると、次第に極端な思いこみや価値観に支配されてしまいます。そしてその状態から出た発言や行動は、おおよそ世間的な常識からは逸脱したものになりがちです。


 暁美ほむらが、鹿目まどかへの愛でソウルジェムが濁ったと言ってますが、実のところ誰も鹿目まどかという存在を共有してくれないため、暁美ほむらは鹿目まどかを愛するのは自分だけという状況で精神をこじらせてしまったわけです。



 私自身がそうなのですが、心配ごとや考えごとを誰にも相談しないでグルグル回し続けると、いつかはタイムリミットが訪れて、せっぱ詰まった状況で、それを誰かに相談したり頼んだときに、それを受けた人とトラブルや問題を起こして仕舞います。

 

 具体的に言うと、同人のイラストの依頼を何ヶ月か前に、前もって知人にお願いしたのですが、締め切りが近づくにつれて、「相手はあのことを忘れているんじゃないだろうか。それとも忙しいんじゃないだろうか」と、一言依頼を確認すればいいだけなのに、誰にも相談しないでグルグルと煩悶します。

 そしてせっぱ詰まったときに、知人にその事をお願いしたときにトラブルが生じるのです。


「もう少し早く言えよ」


 自身のプライドや自信のなさや人間不信から、誰にも相談できなくてグルグルと考えごとを回し続け、トルコアイスみたいにそれの粘土と硬度を増していくわけです。

 そして射出された瞬間に、その思いが相手を捉えてトラブルを起こしてしまうわけです。

 当方のマイパパもミソジニーをこじらせてしまい、飲み会の席で女性の年齢や顔を侮辱するというあり得ないことをやらかしてしまいましたが、それを見たときにゾッとしたのを覚えています。


 暁美ほむらのあの突飛な行動も、ドブのように淀むイドの領域の暗黒思考がもたらした種類のものでしたが、それだけでは言い切れないものがあります。


 それは暁美ほむらを救おうと協力してくれた人の好意を踏みにじった点です。


 その点についてもう少し踏み込んで解説していきます。


火災報知器を押してしまいたくなる心理

 「勝手に改造」というマンガで、名取羽美という痛いキャラクターがいましたが、彼女の嗜癖として、学校で火災報知器を押してしまうというものがあります。


 自分の中の変化を求める気持ちと、タブーとされているそれを押してしまう衝動に負けた羽美は、それを押して先生から怒られてしまうのですが、暁美ほむらのあの行いはまさしくそれに近いといえます。

 ただ、それだけでは説明不足です。そのために、「うしおととら」の例の山魚の回を引用して解説します。


破壊衝動

 光覇明宗の破戒僧凶羅の秘術により、人々が手を握りあうことで法力を直列繋ぎし、出力をアップして悪い妖怪を倒すのがその話の骨子でした。

 そしてその秘術は一番最後に手を繋ぐ人に負荷が一番かかるようになっていました。

 その役目を、その物語の主役であるいじめられっこの少年が、なけなしの勇気を振り絞って果たすこととなりました。

 そして物語では、少年は見事大役を果たし終えて妖怪を退治することに成功しました。


 いじめられていた少年が頑張りを見せなければ列車の中の人間は全員死んでいたのです。

 しかし私はその場面を見て思いました。


「この場で少年が繋いでいる人々の手を解くか、邪魔をすれば彼は何者かになれる」と。


 マンガでよく登場する天使と悪魔の囁きという奴です。


 少年が手を貸さなければ全員死亡で、彼が手を貸せば全員が助かる。


 まさしく少年の手に人々の未来と運命が委ねられていたのです。


 しかし少年はそんな悪魔と天使の囁きを考えもせずに、頑張り続けるうしおに影響されて人々を救いました。


 リア充であるうしおに対する引け目や劣等感を持っていた少年は、自分にいいわけをせずに、「目の前にあって、今の自分にできること」をやりきったのです。


 彼がそう出来たのは、様々な苦労や葛藤を乗り越えてきた、恵まれない立場の人間の気持ちが分かるうしおの父親が少年を導いてくれたり、怖いながらも勇気を振り絞って、先生という役目を果たそうとした少年の担任の背中を見たからです。

 ですが暁美ほむらはどうでしょうか。


 彼女には誰もいません。彼女は自分だけがまどかを知っているという孤独を抱えています。そしてその事は誰に話しても理解してもらえません。その状況は、魔法少女システムの秘密を抱えていた時よりも、より悲惨であると言えます。


 なぜなら、まどかの存在を知っているのは本当に自分一人だけだからです。


 そんな誰にも理解してもらえない状態で精神をこじらせ続け、今までの周回で身に付いてしまった思考様式である、他人を見下す癖や冷たさが、ますます彼女を追いつめることとなりました。


杏子「あんたさー、お互い信用しろって言える立場じゃないけどさぁ、もう少し手の内をあかしてくれたっていいんじゃないかな」


暁美ほむら「この悲しみと憎しみばかりの救いようのない世界」


 暁美ほむらが効率を考えてループするうちに自然と身に付いたスタイルとゆがんだ認知は、ほむらの「この救いようのない世界」という言葉から分かるように、「本当の自分」となってしまっていたのです。


 そして「誰にもわかってもらえないし、自分も理解してもらおうとは思わない」という価値観と他人を見下すスタイルは、人からの影響をシャットアウトしてしまい、文字通り魂の牢獄に彼女を閉じこめてしまいました。


 暁美ほむらは少女という形の入れ物に納められてはいますが、彼女自身の内面がグリフシードへと変質していったのです。(魔女退治の場面で、なぎさが少女の形をした入れ物に充填される場面が描かれましたが、あれがあまり意味のない場面ではなく、暗喩としたら)

 

 そうした他人という自分を取り巻く社会の存在を無視して、「まどかこそが自分のすべて」という価値観をこじらせてしまったほむらは、目の前に現れたまどかという存在を目のあたりにして、魔が差してしまったのです。


 「ここでまどかを手に入れてしまえば、私は別の何者かになれる」と。



 そして彼女はそうした後ろめたさと罪の意識を誤魔化すために、自らを悪魔と呼んだのです。

 それは彼女が精神的に弱い少女のままだったからです。


 

 同じように「うしおととら」の作中で最強クラスの力を有していながら、その精神性が最弱クラスだったキャラクターが存在します。


 次は彼のことを軸にして、暁美ほむらが何故自分のことを悪魔だと呼んだかについてっ語ってみましょう。


極悪人を気取った秋葉流と、悪魔を気取った暁美ほむら

 秋葉流という男について簡単に語りますと、彼は自分のことを天才だと呼んでいますが、自分自身で「俺は天才じゃねぇ!」と、”とら”との対峙で自分の天才性を否定します。実の所彼は、自分がドロドロとして醜いという思いこみゆえに、自分を愛せていません。

 

 それどころか彼は、自分を認めない社会に対して「俺は天才だ。俺は周囲に軋轢を生むから本気を出しちゃいけないんだ」と思いこんでストレスをため込んでいます。


 彼の社会の認知は「この悲しみと憎しみばかりの救いようのない世界」と言い放っていた黒髪の少女と同じ種類のものでした。


 そして彼はそんな自分をいい人だと信じ込んでまっすぐに見つめてきた蒼月潮という少年の目を受け止められず、次第に狂っていきました。


 そんな精神バランスの危うい彼に対して、白面の使いがインキュベーターのように誘惑しました。


 白面の使い「あなた様が本当に戦いたいのは、我々白面の一族ではなくって、雷と炎の化身である”とら”でしょう」




 

 そして辻を通る魔に出会った秋葉流は、文字通り魔に憑かれてしまい、魔が差してしまったのです。


 人間を裏切り、白面の側につき、”とら”と正面切って戦える立場を手に入れる、と。

 

 同じように、順番は前後しますが自分の素直な欲望に正直になった暁美ほむらも、人間としてのまどかを手に入れるために、悪魔としての立場を得ました。このことについては後で詳しく述べます。


 人類の敵としての立場を得た秋葉流は、これで今まで感じていたストレスから解放されて、自由な立場を得ました。

 

 つまり、自分をいい人だと思いこんで信用する少年の期待に応えられない自分と向き合わなくてもいい立場を。

 

 その課程で”とら”と戦うことを秋葉流は選択しましたが、これについてはこういう言葉があります。


 「スタンド使いは引かれあう」

 

 または


 「同クラスタ同士は引かれあう」 


 このことについては、性癖についてとても詳しいことを書かれた某氏が「恋愛なども似たもの同士が引かれあう」と結論を出しています。

 秋葉流は世界に対して憎悪と悲しみを抱いている人間でしたが、そうしたクラスタが独特の嗅覚で自分と似たタイプの存在に気づいた時、彼は戦いという手段で対話をしようとしていたのです。


 誰も理解してくれない自分の孤独を分かってもらうために。


 秋葉流「あのお人好しも俺の正体にようやく気づくだろう。オレが最悪の裏切り者だってなァ」


 とら「なーんだ、ナガレよ、なんのことはねぇ。お前はうしおの目に耐えられなかっただけじゃねえか! 笑わせるぜ、天才とやらののくせによぉ!」

秋葉流「黙れ黙れ黙れぇ!」

 秋葉流「とら、うしおに伝えてくれねーか。秋葉流って男は、最悪で最低の男で、”とら”と戦って、惨めに死んだって」

 

 秋葉流は、自らが取ったカッコをつけたポーズを崩せないが故に、自ら滅びの道を歩むこととなりました。


 そして暁美ほむらは肉体としてのまどかを手に入れた事への後ろめたさと気恥ずかしさを隠すために悪を気取り続けたわけです。


 そんな彼女は世界を改変した後に、見滝原中学の通学路でお茶をするという未練をのこしたふるまいをしてしまいます。

  

 あれこそ、巴マミの模倣でもあるわけです。

 

 それはミス中二病とネタにされた巴マミを超えて、「目覚めた私は他の人とは違うのよ」という中二のそれと限りなく酷似しています。


 私も身に覚えがあるので、あのシーンの彼女は非常に痛々しかったです。


 高校時代の私「アニメ? あんなもの、用地だよ。今はアーケードゲームだよ、アーケードゲーム」

 

 学生時代の私「ライトノベル? 今は渋沢龍彦だよ、池波周太郎だよ、隆慶一郎だよ」


 今の私「今は哲学だよ、原始仏教だよ」


 ぜんぜん変わってませんね。



 そして暁美ほむらもぜんぜん成長していません。むしろ、周囲の人間の好意や善意を踏みにじって、相手がいやがることを自分の目的のために行うことで、成長ではなく後退しています。このタイプは、メンヘラ気質の人でもあります。モラハラとメンヘラ気質は被っている部分もあるのですが、自分以外の第三者を信じてその人の自由にさせることが出来ず、人を支配しないと安心できないタイプでもあります。


 メールを一日に何十通も出して、恋愛相手を束縛したがるタイプの男女がいたりしますが、あれなどは相手に自由な時間を与えないことで、相手の行動や自由を奪うことで安心を得るタイプと言えましょう。


 そんな支配形の恋愛を選んだ暁美ほむらとは対照的に、美樹さやかは上条恭介を諦めることにより、精神的に成長しました。

 彼女は「あたしが本当に望んだことは、あいつのバイオリンをたくさんの人に聴いてもらうことだった」と自分の本質に向き合うことで成長を果たしました。

 その結果が上条恭介を諦めることであったとしても、時間が彼女の問題を解決してくれますし、仁美との恋愛がこじれた場合は、美樹さやかにもチャンスは巡ってきます。


 しかし暁美ほむらは、そうした成長とは無縁で「概念としてのみんなの鹿目まどか」よりも、「自分一人だけが支配できる人間としての鹿目まどか」を欲したわけです。


 ですが、そんな欺瞞と欲望は砂上の楼閣と言えます。

 

 本編で概念に戻ろうとする鹿目まどかに対して、悪魔を気取る少女はこれ以上ないほどに取り乱し、常に彼女の事でおびえ続けるわけです。

 

 そんな彼女の姿は、誰も逆らえない国家元首でありながらも、いつか自分と同じようなやり方で自分を殺しにくる存在におびえ続けたスターリンや毛沢東と被って見えます。

 

 その癖、エンディング後のパートで、ソウルジェム内に作り出した仮想空間で果たした鹿目まどかとの逢瀬をもう一度期待してしまう弱さや臆病さが、ほむらに見受けられるのです。


 しかし、彼女が期待した少女はやってこず、ボロ雑巾になったQBが姿を現しただけでした。


 暁美ほむらもQBも、自分にとっての損得勘定だけで人間を扱っている点で、実は似たもの同士でもあるのです



 

 それ故、悪魔になった彼女はQBを逃がさなかったのです。自分が独りぼっちになることを自覚しているがゆえに、自分と似た存在であるQBをほむらは浄化のため(本編では浄化シーンは存在せず)必要としたのです。


君の銀の庭

 先日「火垂るの墓」が地上波で放送されましたが、あの話の本質は作者が語っています。


 「たとえそれが自分にとって不愉快であったとしても、人間関係を切り離して生きることは不可能だ」と。


 つまり「火垂るの墓」は、自意識だけが肥大化したブルジョア少年(彼の父親は重巡洋艦摩耶の少佐で貯金も七千円あり)が、不愉快な人間関係に我慢が出来ず、妹ともども無人島のような引きこもりライフをした結果、野垂れ死にするしかなかったというお話なのです。

 

 同じ事は暁美ほむらにも言えます。


 彼女は誰にも理解してもらえない鹿目まどかのイメージだけを支えにして、人間関係を築くことなく、自分だけの世界に閉じこもっていきました。


 美樹さやか「自分だけの時間に閉じこもるのは、あんたの悪い癖だよ」


 そうした意味で、ソウルジェムの世界の中で閉じこもっていた彼女は、ネットゲームという仮想空間に引きこもっていた状態と酷似しています。


 そして誰も傷つかないすてきな世界を自分で演出していながら、その世界に疑問を感じて、自分でそれを壊す。

 

 壊しただけならいいのですが、自分の現状と社会復帰がかなわないことに絶望して自殺を選ぼうとするあたりが、引きこもりのそれと似すぎていて、非常に心苦しいものがありました。

 

 それは、暁美ほむらの社会復帰を助けようとしてくれる仲間の援助を切り捨てて、概念のまどかを自分の世界に引きずり込むあたりを見ていてもそうでした。


 つまり救いの手をさしのべてくれたまどかを裏切って、彼女を自分のものにしてしまった暁美ほむらとは、重度に悪化したメンヘラのそれでもあったのです。

 

 そうした意味では、劇場版の彼女を通して描かれたテーマとは、痛みを伴う変化を拒む「停滞」でもあったわけです。

 

 私もこれだけ偉そうな事をいいながら、変化を怖がって受け入れようとせずに、停滞し続けています。


 具体的に言うと、自分や親が年をとるという現実から目を背けながら、結婚もせずに独身生活を満喫していますし、ネットでの繋がりに依存した生活を続けています。

 

 旧劇場版エヴァの時代から、すでに成長を拒む停滞はテーマとして描かれてきましたが、「反逆の物語」では相手の顔色をうかがうことなく、相手を閉じこめて自分のものにするという、旧エヴァの「気持ち悪い」さえ言わせないほどの悪化を見せつけてくれました。


 まどかを閉じこめた窓にリボンをかけて封印するというエンドカットは実に象徴的です。


 人を閉じこめて支配しようとするものは、同時に自分もその世界に縛られて身動きがとれなくなります。


 新潟の少女監禁事件もそうですが、社会性を放棄してそれを行うものは、「ほたるの墓」が描いたように、決して幸せにはなれません。


 それでも相手を支配しないと安心を得られないという、関係性を放棄した認知のゆがみを自覚するにはどうすればいいか、そればかりが私は気になります。


 

追記

 叛逆の物語の中で、「巴マミが苦手」というセリフが出てきましたが、あれは巴マミが、まどかや炎たちと上手く人間関係を築きながらも、誰からも反対の出ない支配に成功していたからでもあります。

 

 魔法少女のあの五人の日常が物語の冒頭で描かれてましたが、巴マミはまるで和田アキ子さんのように魔法少女たちをうまくまとめていました。そうした他者の人間関係に配慮ができる、仲間たちから反対が出てこない支配が、巴マミの得意とするところだったのです。


 それは暁美ほむらには望むべくもない支配の方法でした。

 

 実を言うと、あの物語って、依存と支配が裏テーマなのではないかと私は勝手に思い込んでいます。



追記2 

 「劇場版セーラームーンR」ですが、あれに登場するフィオレという、コミュ障のオタク気質を持った美少年が、地場衛ことタキシード仮面を幽閉して自分のものにしようとする場面が登場しますが、あの物語だと明確に、悪い母親の影響を受けた少年がこじらせて社会不適合を起こしてしまうという流れでした。

幾原監督も「フィオレが過ちに気づいて事態を解決した時に、一人でまた宇宙を彷徨うことになったのは、彼が立派に独り立ちするためだったのです」と言われてましたが、劇場版Rから20年の時を経て、暁美ほむらという形でより社会的に悪化したパーソナリティが描かれて、それがパリでも大人気と聞くと、いろいろと思うところがあったりします。


 ただ、パリで人気だったのは、犬カレー空間による美しい背景美術のセンスが、外国に受けやすい部分はあったかな、とも思います。



追記3



 QBから真実を知らされた暁美ほむらが、自分がどうなろうとも、自分の理想として持ち上げているまどかのために、自分が魔女になることを容認するどころか、自ら魔女になろうとする展開について。



 あれだけ、他人を頼りにしないスタンスのほむらが、自分の不始末のケツ拭き、しかもかつての仲間の後始末をさせようとするあたりが、実に他力本願で素敵でした。


 多分、キンブリーあたりがあの場面を見たら、笑顔で突っ込んでたでしょう。


「普段、まどかの守ろうとした魔法少女の矜持だの、あるべき姿だと言いながらも、自分は勝手に魔女になる。あなた、美しくない」と。

転載元


記事タイトル:

[まどか☆マギカ][書籍]なぜ暁美ほむらは、鹿目まどかに叛逆して悪魔になったのか。

関連ワード :

暁美ほむら

魔法少女まどか☆マギカ

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斎藤千和(声優)




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